22世紀に残る音、残す音-レオクラシックス
22世紀になるまで太鼓に使う木や皮も新素材に変わっているかもしれません。新素材になったら新しい表現が生まれているのでしょうか。私は懐疑的。おそらく、太鼓の音の本質を知らなければ、魅力的な表現が生まれるどころか太鼓文化そのものが消えてしまっているかも知れません。
太鼓が国内外の(音楽的、文化的とは思えない)イベントに担ぎ出されるようになって随分と時が経ちます。そして、いつしか太鼓演奏は音楽ではなく、「手段」となる傾向が多く見受けられるようになりました。
1980年代、私が鼓童のメンバーと満面の笑みでかつぎ太鼓や平胴大太鼓を叩き、太鼓アンサンブルを作り上げたことで創作の種が撒かれました。けれど、その当時は賛否両論でした。でも、私たちは負けませんでした。なぜなら、それは「手段」ではなく、紛れもなく「僕らの表現」でした。
時代背景が違うのでオリジナルとコピーを論じても意味がないのですが、良くも悪くもこの流れを生み出した者として、新たに大きなビジョンを持ち、太鼓と向き合う必要があると思っています。時代が変わり、素材が失われて変わっていったとしても、受け継がれるものは太鼓と向き合う心であり、知恵であると思いたいです。
確かに1980年代に私が作曲した”族”や”IRODORI”という曲を通じて、メッセージを伝えていくことを否定はしませんが、楽曲は世に放たれた時点で独り歩きしていくものです。
太鼓でどこまで表現できるのか。2017年、私は改めて音楽人生に太鼓アンサンブルを加えました。ミュージシャンとしてこれまで50カ国以上で演奏してきた中で体験してきたこと。そこで動いた心の部分。それらの体験に匹敵するような音をステージで表現できたらと思います。
2017年
レナード衛藤